TeraCoreFM休閑閑話

旧butiPanther'sblogからタイトルをTeraCoreFM休閑閑話に変更しました

妄想的疑問

昨日 アイランドのプロモを見た クローンを題材にした映画なんだけど とても違和感を感じます いやこの映画だけでなく 米国の映画や創元や早川で取り上げるようなSF本の仮説に違和感を感じる 最初に生命倫理の問題は度外視して書くことをお断りします。映画やSF小説と同様にクローンが既に存在する社会として仮定して考察しています。
 今回のアイランドは特にそうだけど クローンはあくまでもオリジナルのコピー 医療用もしくは兵器として扱う設定
 そしてそれらクローンはオリジナルと接触しない別環境で育成される。そこで必ず ヒューマンな問題が起きる 恋愛 人間としての価値観 そしてそれを管理するもの オリジナルの人間社会へのディープインパクト そこで哲学的なドラマが形成されるのだが  実際クローンの技術が完成されて 実用化されても クローンに人間の思考と心が必要となるのであろうか もし人体そのものシステムが必要であれば 脳幹以外の脳のシステムは必要ないのではないだろうか 特に記憶領域 大脳新皮質はいらないと思う オリジナルの人間がクローンを安全に管理するのであれば クローンに人間と同様の思考機能を保持させたら管理はできなくなるのはわかりきっているはずだ。 もし脳の記憶領域がオリジナルの代替として必要なら 違う環境で違う生活をしたら その個性は完全に別の存在になるのだはないだろうか。
 かつてルパンの劇場版でクローンの話があったがその結末は オリジナルの脳を永遠に保存し自分の意志を永遠に持ち続け
クローンは劣化していくただの人形でしかないという仮説定義であった 私はこのルパンの劇場版の考え方の方がより現実的であると思う。実際医療用のクローン技術なら 胚が細胞 再生細胞などのクローンを移植したほうがより安全という 時代に入っているこの時代にアイランドのようなクローンが人間の苦悩に苦しむっていうのはどんなに科学が発展しても オリジナルの保全を最優先する人間にとっては まずありえないだろうと思う 
 どうもハリウッドの人たちは クローンとロボット三原則を混同し 完全な誤謬哲学が完成されてしまったのではないだろうか クローンに対しては科学者兼SF小説家の誰かが クローン研究三原則なるものを早く提唱した方がよいのではないだろうか・・・と思っています。