TeraCoreFM休閑閑話

旧butiPanther'sblogからタイトルをTeraCoreFM休閑閑話に変更しました

西部 邁氏の憲法講座

本日  MXテレビ(東京UHFローカル)の 談志・陳平の言いたい放題 の レギュラー出演者の西部 邁氏が今日憲法について 講座を開いていた。
 この番組はいろいろ物議をかもす面白い番組であるが、今日の見解も面白というか憲法原理主義を主張していた。

 まず前段として一般常識として憲法には成文憲法と不文憲法がある イギリス等は不文憲法である 歴史と文化のある国は
不文憲法が最も適正であるという主張
 国民が自国の歴史をきちんと認識し過去のエピソード 「大憲章(マグナ・カルタ)」や判例・慣習法(憲法的習律と呼ばれる)が憲法を成り立たせている。
 ゆえに日本も憲法17条から始まり様々な過去の慣習や判例を範唱し国の歴史文化を認識して モラルとしての憲法概念があればいいとの事である。
 
 この考え方はそもそも契約法的な考え方で法律 契約の原点であり 日本の司法社会でも現実にそうやって運用されている(判例主義)わけだから ごく当たり前の主張であると私は思います。



また他の憲法を持っている国で 憲法を60年たって一回も変えてない国は日本だけである。

これは周知の事である 異論がない

憲法改正について
 今の国会の勢力 自公民主が憲法改正を望んでいるから憲法改正は簡単に出来る しかし 今の国会議員では改正しても禄な憲法は出来ない 

 うん うん 俺もそう思う

そして憲法改正などしまくて憲法廃止論を立ててもいいのではないか。
へー おもろいねそれ
 その理由として
現憲法は日本人の手で作られた憲法でなく議論もなく3ヶ月でつくられた・・・・ これは 多くの人が認識していることだから 問題はない。

 そして第9条をいじってばかりで今の憲法議論は無駄であるとし
 9条の憲法解釈を述べる
 Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.
を用い日本語の国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。の国際紛争はinternational disputesであるから国家間紛争この文体での用法は「論争」としている
 であるから 紛争解決のための武力行使 侵略行為は禁止できるが 防衛戦争の定義はない 認めている考えるという解釈

うーんこれは 賛否があるというか そもそもが憲法の法文としては的確でない条文であるから 私はこれを法文とは認めていません 

 その上で第二項 防衛のための武力行使は認められているのに なぜ、2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 という文書が存在するのか・・・
これは当時の米国人が ヒステリックに日本の武力保持を恐れたからである 。国家に防衛権がない国は普通ありえないだろう。

 これは正論である 異議なし
と9条の話はおしまい

そして最もな重要な解釈として憲法全文であるとする

この解釈はとても評価できるものであった。
全文の
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」
"We, the Japanese people, desire peace for all time and are deeply conscious of the high ideals controlling human relationship, and we have determined to preserve our security and existence, trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world. We desire to occupy an honored place in an international society striving for the preservation of peace, and the banishment of tyranny and slavery, oppression and intolerance for all time from the earth. We recognize that all peoples of the world have the right to live in the peace, free from fear and want.”
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会とは誰の事かとし
 これは米国に他ならないとしている。

うーん番組では英文については触れていないが私の語学力が疎いのか 米国だけとは読み取れない と思う。
 確かに当時の国民感情としてはそう捉えても当たり前だが、現代社会にこの説明をしてなじむだろうか。現在の国際政治上 その様な努力をしている国はあまりないと思いますがw

その主張の上で
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」


政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずると書いてあることに対して
政治道徳の法則は、普遍的はないだろうと 

確かにそうである。
 私の考えでも 政治道徳は普遍的であるはずがない 国家の成立条件である慣習 民族 伝統 歴史認識 宗教認知において国家の政治道徳は個性を持つものであるから普遍的では絶対にない これは明らかに占領国であるアメリカの押し付けであることは間違えないと思う
 それに確実に多国とは米国の事をさしているわけだし、当時の情勢としてもソ連と中国 米国の対立は始まっていたのだし。

そして 談志師匠の突っ込み じゃーアメリカ合衆国憲法でいいじゃない どうせ日本人なんていないんだから」

う うまい うまいまとめ方だ 
 これを見た視聴者はインスパイアwされた人が多いでしょうある意味宗教的妄信信者が出現してもおかしくないね。

 私も多少間違いがあっても 今の日本の状態からいってこの並にのって ところどころ批判していけば正常化な世論の反応は期待できるかもと思った。

 まー微妙ではあるが久々に面白い番組でありました。

皆さんはどう思いますか。

おそらくこの話を検証するためには彼の著書  私の憲法論―真正保守による改正試案 を読むべきなのかもしれませんが 小生も読んでいません。