酷評をすべきところ

坂東眞砂子さん「子猫殺し」コラム、掲載紙に抗議殺到
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060824i406.htm
この件に関しては先日、盟友であるマイミクのとしぼうさんのところで 雑感を記しました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=204886275&owner_id=704168&comment_count=5

 そこで言いたいことは
生命倫理感と生命の尊厳を考えていただきたいということである。 国の法律の根底にあるものは 共同体の主体である人の命の尊厳と 客体である 対象物の生命倫理感の価値観によって法は作られた。

バビロニア法典 目には目を つまり奪われたら奪う権利があるという事だ

そして 日本に刑法もそういう意味で厳しい量刑が科せられている。

刑法の量刑の重さはその国の生命倫理感が法文化されているといっていいだろう

記事によると直木賞作家の坂東眞砂子女史に対して
"環境省の動物愛護管理室は「(坂東さんが)海外居住のため、日本の法律の適用外" と逃げているが
在外居住法人の行動倫理において 日本国籍をもつ人間に対して 日本国の法律も考慮にいれて行動すべきと批判すべきであると思う。

また日経新聞坂東眞砂子氏女史の文章を新聞という報道の責を担った新聞コラムにふさわしい文章なのか審査すべきではないのだろうか?
 生命倫理に抵触する文章を手にしたのならば
まず 日本人の生命倫理感を感じ取る事と
関係法律 法令を照会する必要があるのではないだろうか

ここに表現に自由という考えが派生すると思いますが

直木賞という 日本の文壇最高峰の賞なのであるから 
授与された、作家は日本の文壇の代表者としてその叡智の上に君臨した事になります。
 
その上で 文章を表現する責務があると思います。

 筆者の自主性を尊重の前に 様々な記事を扱う新聞社の倫理感が問われると思いますが?

勿論 すでに芥川 直木賞がそのような権威のあるのかは疑問の余地があるが。



直木賞作家の坂東眞砂子さん(48)が、日本経済新聞の18日夕刊に「私は子猫を殺している」と告白するコラムを掲載したところ、インターネット上などで批判の声が上がり、日経新聞や動物愛護団体に抗議が相次いでいることがわかった。

 「日本動物愛護協会」(東京都港区)は近く、コラムの内容について日経新聞に事実確認を申し入れる予定だ。

 批判が上がっているのは、日経新聞夕刊の「プロムナード」というコーナーで、「子猫殺し」とタイトルが付けられた坂東さんのコラム。「こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている」で始まり、生まれたばかりの子猫を家の隣のがけ下に投げ捨てていると告白している。その上で、飼い猫に避妊手術を受けさせることと、子猫の投げ捨てを対比し、「生まれてすぐの子猫を殺しても(避妊と)同じことだ。子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ」と書いた。

 掲載後、日本動物愛護協会などには抗議のメールやファクスなどが殺到。日経新聞には、24日正午までに、メールで508件、電話で88件の問い合わせがあり、ほとんどが批判や抗議という。

 坂東さんは、仏領タヒチ島在住。日本の動物愛護法では、猫などの愛護動物をみだりに殺したり、傷つけたりすると、1年以下の懲役か100万円以下の罰金となる。環境省の動物愛護管理室は「(坂東さんが)海外居住のため、日本の法律の適用外」としているが、フランスの刑法でも、悪質な動物虐待については拘禁刑や罰金刑を定めている。

 坂東さんは日経新聞を通じ、「動物にとって生きるとはなにか、という姿勢から、私の考えを表明しました。それは人間の生、豊穣(ほうじょう)性にも通じることであり、生きる意味が不明になりつつある現代社会にとって、大きな問題だと考えているからです」とコメント。日経新聞では「個々の原稿の内容は、原則として筆者の自主性を尊重している」としている。

 坂東さんは、「桜雨」「曼荼羅道(まんだらどう)」などで知られる人気作家。97年には「山妣(やまはは)」で直木賞を受賞している。

(2006年8月24日14時3分 読売新聞)