思い違い
全て、努力して、恢復すれば、すべての環境が相乘效果的に希望的觀測の上に改善すると考へてゐた。
それは、完全に過ちであつた事が、わかつた。
そして、ほとんどのものを失ふ事になり、存在があつてはならない事にきがついた。
自己の仕合せは最愛のものが支へとなる事でそれは維持される。
そしてそれを失ふ事は自らの存在を否定するといふ結果になるのである。
柚子譚
私にとって、大切なのは、私の子供である。
子供達を管理をしているのは母で有る元の妻である。
そして子供たちにとっても最愛であるべき母である。
連日 信頼できる人達に相談をして心の整理をしました。
いくら、私本人が経済的な支援を継続しても、子供達に面談をすることは、現状かなわぬという事を理解した。
母である妻は、別居を始めたとき、私の人生に危機感を感じ、別居 離婚を決意した。 そして、妻の中での其のときの私の未来は野垂れ死にすべき人間であり、生活力の見込みはないものと考えたに違いない。
しかし、其の悲観的期待に反して、私は頑張った。
そして、経済的にも心の余裕も持ち始め、私は正常な両親の義務を果たすべき、日常的なコミュニュケーションの回復を強く願い、子供のとの接点の回復を強化する事を試みた。
しかし、結果は、以前よりも難しい状態になってしまっていた。
端的に表現するのならば、妻の中では、子育てをする母親という表札の前に、一人の人間であり女性であるという事である。
つまり、私の姓名をなのり、子供を育てていく母親にとって、もっとも好都合なのは、私が死亡しているという事実が一番好ましいという事である。
女性として私(元夫)の存在がなければ、子供を育てたまま
自己の自由度はまし、子供に対しても精神的に伴う、疲労は軽減され、女としての恋愛感情も育む事ができるというわけである。 即ち、私が死ねばよいのである。
もっとも妻にも、子供達にもわかり易い、状態なのである。
しかし、私は、努力をして生き抜いてしまい、有る程度の回復を成し遂げた。
それは妻にとって、予想外なのであった、
そして、昨年子供達と久々に面会をし楽しい時間をすごし、経済的な支援も回復でき、距離はあるが、計画をすれば、いつでも逢いにいく条件が整い 電話での子供とのコミュニケーションは回復した、そして、子供は成長し、様々な状況を理解するまでに成長した。 特に、父親に好意をもち、理解を示す、長女のその後の発言は、成長が進むほど、母に対する、非難の色を強めていく結果になっていく。
よって、妻と子供達の生活共同体の関係に大きな影響を与え、平穏な共同体の構築が困難になり、危機的状況に陥るというケースが多発するという現実があること。
すなわち、安易に私は子供に逢う事はかなわない、
子供の成長を待ち子供の意志に基づいて、面談をかなえなければならなく、それをまたなければならない。
そういう事を理解した。 納得した。
しかし、私の心の中はもう崩壊してしまった。
私の心臓は動悸を頻繁に起こし、脳みそは死にたいという言葉を連発。 いきたいても無意味だ 仕事もいらないと考える
何をやっても楽しくない、音楽もなにもだ
ただ、昨日、かの人に話をした、話を聞いてくれた、そして私の気持ちはわかってくれた。
でもかの人はやはり、今の彼氏と結婚する決意をきまたらしい。
それでも良い。
逢えば気持ちが整理できる。僕にとっては存在が大きい
しかし、現実は今一人 で孤独だ
孤独でいると意味のない言葉を反復し、ねこの鳴きまねをして
発狂している。
そして、酒を飲み金を使い、心からの話ができない表面的な
楽しさで余計なストレスをため、ビルの屋上に昇り下を見つめる 即死ができるかできないかを考える、この高さでは、苦痛を伴う時間と生存の確率が高いという事を冷静に考える。
電車が一番らくなのかと考える。
だけど、理性はあるようだ、怖いし死にたくないという気持ちも
だれでもいい、俺の傍にいてくれ、迷惑かもしれないけど、
俺から目を離さないで欲しい。
だれか助けてください。
甘えているのはわかる、でも怖いのです、自分も行動が
記憶もなくなるし、何をしているかわからない時間もある
だれか 傍にいてください。