再掲載 再追加 「読書というものは」

自分で書いて中々良いと思ったので
やはり再掲載する事にしました。

最初の一文で、誤解を招いてしまい、嫌な思いをされたと思い。
昨夜削除いたしましたが。

私の読書の姿勢という事で再掲載する事にしました。

忙しい人は本を読めない。
だとしたら、
本を読まない人は忙しい。
が成り立ちます。
でも、
そうでは、ありません。
忙しい人は本を読みます。むしろ暇な人より読むはずです。

そして、予め断りを書きますが。
ここでいう本というのは、この文章の範囲の中では、
本=知としましょう。
説明を複雑にしない為の定義として下さい。

本を読むという事は私にとって、食事と同類なのです。
だから、本を読まないと飢えるのです。
読みすぎると満腹になります。

読まなければ栄養不足で役に立たなくなります。
役に立たないという事は、
人と楽しいお話ができない。
何かを解決できない。

本を読むと、わからない事が増えます。
頓珍漢な事が増えます。
だから
また飢えます。
だから、本を読みます。

本を読むと、よく、間違えた解釈をしてしまいます。
私は、
よく解釈をしないで、其れを使うと、よく赤恥をかきます。
でも、そこで正しいことを会得できます。

本を一気にたくさん読んだといって、頭の中には
あまりはいっていません。

やはり時間を掛けて、すこしずつ本や言葉、をかみ締めた
方が身になります。

まるでご飯のようですね。

だから少しずつ読むことが大事なのです。

仏教徒でない私がもっとも愛する宗教は仏教です。

本をお経に準えてください。

子供の頃、マカハンニャーハーラーなんちゃらと

意味なく覚えてしまいますが、

大人になってから、「摩訶」とはでっケーってことなんだ
「般若」って知恵の事なんだとだんだん解って、腑に落ちてくる

そして、お経の意味が見えてくる、するとまた出会いがある。

其れが、栄養となるという事です。

数学もそうです。解らない事がわかるようになる、こんな感動的な事はありません。

最後に、本=知としましょう。とした定義を
本=人に置き換えてみましょう。

大好きな人を理解しようとして、いろいろ相手の事を知りたくなる
そして理解してその好きな人のために大切な存在となるよう努力する。
どんな小さな出来事も大事に覚えていく。

相手が、一番喜ぶことを知る、そして、自分も喜ぶ事を知る

なにも知らない人に愛していると伝えたって、

ありがとうしか帰ってこない。

独りよがりになってしまう。

元の定義に戻します。
本=知とします。

だから本を読むという事は大切な事だと思います。

でも、無理してはいけません

今度は本だけに頼ると、偏ってしまいます。

まさにメタボリックです。

私などは心身共にメタボなのです。

だから、あわてず、ゆっくり、よくかんで本を読んでください。

以下、本日追加
私は、きちんと読んでもらうのではなく
そこに書いてある事に出会ってもらいたいのです。

1000ページの本机の上で読み続ける事は私もできません

時にはうろうろしながら、
時にはお風呂にはいりながら
寝る前に
電車の中で
喫茶店にはいって
公園のベンチで
好きな場所で

そうすると、本がいつも一緒にそばにいてくれるでしょ

まるでデートしているみたいに、新しい言葉に出会える

日常にその本がそばにいる

時々、じゃれるように本を捲る

そこにまた新しい世界が

読書ってそういうもんなんじゃないのか

出合いの思い出というのはそういうもんじゃないのかな

どこで、何を話したとか

こんなところに一緒に言ったとか

思いを一緒に抱いて、旅にでるのもよし。

例えば死んだ恋人との大切な本と一緒に旅をするとか

そういうものなんじゃないでしょうか。

読書というのは