辛口批評のコラムというならば
正直、新聞というのは下劣な言葉を弄する媒体と成り果てたのであろう
朝日新聞綱領なるものがこの新聞の精神であろう
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4条ある最後の1条
「常に寛容の心を忘れず、品位と責任を重んじ清新にして重厚の風をたっとぶ」
すでに心は其処にあらず。
今回のテーマは置いておく(いやひと言だけ、慙愧にたえない)
古来日本は言葉の意に多様に奥深く入魂させる独特な言霊を用いてきた
万葉の歌などは最たるものだろう。
奈良時代、長屋王の変で子の膳夫王が藤原一族によって自剄に追いやられし哀しみを歌った
―世のなかは空しきものとあらむとぞ この照る月は満ち欠けしける―
この言葉の中にどれだけの念が入魂されているのか、素粒子の筆者には読めぬであろう、
そのときの朝廷、政治権力、長屋王の地位 藤原一族の目論見読み取れぬであろうな。
ただ,情緒ゆたかで,はかなさを秀麗に歌ったとしか感じないのだろう。
あの本能寺の変の光秀の連歌
―ときは今天が下知る五月哉 ―(諸説多)
日本語というのはあまり活字には意味がないのですよ、漢字は音の当て字で意味は危ゆい、時には間違えた意味で用いられるわけ
活字というのは恐ろしいものだ、
「死に神」という言葉余りにも稚拙な言葉である。
第199条(殺人)
人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する
=「死に神」だと私は捉える。
言い換えればこの法の基、罪を犯さぬよう暮らしている、国民は死に神に支配されている事になる。
「永世死刑執行人 鳩山法相」というのは稚拙を通り過ぎて幼稚としかいいようのない言葉の羅列である、ここには知は一分も感じられない。
たしかに社として謝罪もコメントする必要はないね。
なぜならば、それが朝日新聞の確固たる人格なのだから、
これをを辛口批評で「寸鉄人を刺す」という意気込と申すならばそれは其れなんだろう。
人格否定はしません尊重します。
■朝日新聞夕刊素粒子欄「死に神」の表現、鳩山法相が抗議
(読売新聞 - 06月20日 11:43)
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