中刷りの裁判員制度の広告を見て思うこと

少し古いけど 流石トップアイドル、最新の画像は転がっていません。

人が犯した罪を人が人を裁くものでもなく、ましてや社会が裁くわけでもない
つまり、人が人を裁くのではなく、魔女裁判にもなりにくい日本の裁判がすきなのです。

客体 主体の話や規範違反説、行為時判断行為、行為的無価値論、法益侵害説、事後的判断、結果無価値論
なんて学説なんてどうでもよく

わかりやすくいうと 人や社会が裁くのではなく、社会で決めた規範に乗っ取り、その規範の運用を託された、専門家と当事者によって審理が行われ、十全たる証拠力、証拠価値により公判を重ね結審する 客観的に傍聴し、法の運用を冷静に国民が判断できる、この国の今の裁判制度がすきなのです。

良く、裁判の長期化、量刑と刑期の問題が挙げられるが、素人が裁いて裁判の短期化を目差すより
その罪、その事件を忘れないようにする事が大事なのである

オーム真理教の事件だって、裁判が長期化しているから、事件が風化せず、損害賠償や管財による慰謝料の支払いができるわけです。

人は忘れ易いのです。

それは確かに遺族や加害者親族にとっては辛いかもしれないが、社会的には犯罪の抑止になるし、規範の正規化に役に立っていると思う

よく、考えてもらいたい、裁判が安易に短く結審すれば、社会派法律家の嫌う冤罪だって簡単に結審してしまう

刑事事件の場合結審してしまえば、一審の効力が大きな力を持つ、そして国民はその事件を忘れてしまう

皆さんは神戸連続児童殺害事件を覚えていますか 池田小学校事件を思い出せますか?秋田連続児童殺害事件を思い出せますか。でも八つ墓村は知っているでしょ。

頭の中に思いつくのは東金の幸満(ゆきまろ)ちゃん(5)死体遺棄事件は簡単に思い、なぜ、凄惨な事件が最近起きるのだろうと、思っているわけです。

人は元来、罪を犯す、その上、日本の倫理感は崩壊している、であるならば、過去の事件を風化させずに、モラルハザードとしていかすべきである。

真実は知らないが、「かごめかごめ」などそうである。

昨日の日記はそういう思いを書いたものであります。

日本国民の一番の犯罪は、立法府に責任を持たない国民が多い事であると思う。
いつまでたっても、時代に応じ、日本の良い規範や伝統、道徳心を持った、政治家を送る事ができず、選挙権を放棄する事である。

裁判員の参加する刑事裁判に関する法律(平成十六年法律第六十三号)の立法審議をしているときに無関心であった国民、ただ、施行期日来年5月21日より実施という事実だけキャンペーンされているが

多くの国民はこの法律の最後第八条
(検討)第八条 政府は、この法律の施行後三年を経過した場合において、この法律の施行の状況について検討を加
え、必要があると認めるときは、その結果に基づいて、裁判員の参加する刑事裁判の制度が我が国の司法
制度の基盤としての役割を十全に果たすことができるよう、所要の措置を講ずるものとする。

という条文があるのをご存知であろうか、凄く拡大解釈ができる法律なんです。よ

(検討)と明記し、その結果に基づいて、裁判員の参加する刑事裁判の制度が我が国の司法
制度の基盤としての役割を十全に果たすことができるよう、所要の措置を講ずるものとする。

凄いわかりにくいでしょw つまり検討の結果、十全に果たすことができなければ…とか解釈できるように逃げがあるのです。

ただし3年以内

きちんと、己の目でご覧あれ。


まだ、検討できるんですよ、そして、施行まえなのですよ、廃止にだってできるのですよ。

そういう事ご存知ですか?

私たちは翻弄されているのですよ。

きちんと法律を読むことからはじめましょう

そして裁判員制度の是非をかんがえましょうよ。