スタンダードをショートカットしてきた今を反省すべき

先日 長文日記を書くと断言したのだが
あまりにも長大でまとまりがつかなかったので 挫折しました。
しかし やはり 公言しておきたいことがあるので 短めに主張しておきます。

温故知新 無無明 亦無無明と無知の知の狭間をどうコントロールしたらようのだろうか?

人類が二足歩行を始めて人類の分類の始祖は七〇〇万年前に遡るとされている
この時間の流れの中で人類は幾世代にもかけて、過ちを犯しながら そして真実を探求しながら、智慧を蓄積してきた 成功の経験 失敗の経験、突然変異な発想
により人類の智慧は形成されてきた その伝え方は宗教的な神話 経文、哲学、教育により様々な価値観をもちそれぞれ体系を持ってる。

しかし 近年において 時代は加速的に変化をしている。

経済の金融システムにおいても ITの革新的な進歩もそうであるように、過去というデータベースからは目の前にある危機を解決することは非常に難しいと感じています。

例えば、民主主義とシステムというのは 冷戦構造崩壊後のグローバルな濁流の中では対立を生む大きな要因に成っている。

またグローバルな意思決定においても、民主主義による手続きでは意思決定のスピード感を担保できていない。

例えば、震災復興の施策を即時立案し実行をすることができない。
税の歳入 歳出 財政問題について抜本的な改革をうちだせない。
アイディアはたくさん転がっているが・・・
これはITの進化によるよる 情報共有のスピードの速さと民主義手続きのスピード感によるギャップが歪を作っている。

しかし 猛烈な濁流と化した情報の真贋を確かめるすべもない

この濁流の渦の中から無知の知を期待するのか それでも温故知新データベースを巧く活用していくことができるのかが悩みどころなのです。


しかし 現在において最も我が国が犯した過ちは教育の舵取りにあったと思います。

そして誤った舵の船の上で育てられた国民が今リーダーとなってこの国の舵をとっている。

勘違いされるとこまるのだが、例へば、「ゆとり教育」を被教育された世代を否定しているわけではない。それを醸成し形成した時代と思想過程を見つめ治さなくてはならない。

私がここで一番大切だと信じている事は 問題に対しての解決の仕方の基本を強固に学ぶことであると考えています。

一般社会の現場でこういう話を聞きます
セオリー通りの仕事は巧くいかない。
私はこのやり方で成功してきた、だから過ちではないという「詭弁」を弄する社会のリーダーが多いのではないだろうか?

セオリーをどれだけ理解しているのか セオリーの構造 プロセスをどこまで検証してそのセオリーが失敗にいたったのか?

原発の問題もそう、結局リスクと時代をを読み間違えた結果が今の目の前に顕在化しているのです つまり 学んだり検証すべき論点を端しおったということです

いいかえれば 自分の経験論を基調に論ずる人は学ぶべき知識技術をないがしろにしている人なのです。 たまたま偶然の結果にしかすぎなく たまたまそのやり方が成り立っているだけなのです

またこの成功論者はこの成功体験をスタンダードにしようと努力をする傾向にあります それが根本から誤っていてもです。

誤りがスタンダードになると人類は長い過ちのループに陥るのです

そう天動説を信じ 地動説を排他してきた中世時代のように