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思考

【スコア】
作曲家によって設計され 指揮者によって解釈され 演奏者によってその藝術を再現するために最も重要な設計図

音楽というものは演奏者と聴く人たちの空間に作曲者の精神、意図を音楽という空間構造を留める事のできない時間軸の中で一回限りに二度と再現できない空間構造を振動として伝えるものである。
スコアというものは作曲家が楽譜に書き込んだ 個々のパートの音列を作曲者の意図を論理的、構造的に構築して記述した設計図なのである。

しかし、感覚的で感情的な表現をすべて楽譜というもに表現することはできない。また優れた演奏者がどれだけ研究しても完全に作曲者の
意図、作曲が想像した響きは完全には再現することはできない。しかし、少なくとも構造は理解できる

建築物やアプリケーションは言語や記号を駆使し、仕様にあった材料と示された精度を忠実に再現すればいわゆる 設計者のコピーは再現できるのである。つまり 設計思想と成果物の関係は1:1の関係として対象となる事が想定される。

だが音楽はそうはならない 同じスコアを共有しながらも その解釈、演奏技術により 作曲者の意図するものとは違うものになりうる可能性があります。そして、想定と違う表現となっても聞き手はある程度の許容と新鮮な出会いを味わうわけである、そうでない異質なものにもなりうる恣意的なもの 技術的な問題 解釈の問題で大きく変化するわけである。

つまり 構造は共有しつつも、その形、色合いは大きく異なってしまうとても脆弱な構造体が音楽という藝術なのです。

しかし、最近私が思う事はオーケストラの都合なのか スキルの問題なのかは知らないが、設計図として、仕様書としてのスコアが
あまりにも無様なスコアやパート譜を配布して演奏する団体が存在しています。

楽器の並び 和音の過ち、音符の長さの間違い、アーティキュレーションの表記の過ち 惨憺たる譜面と総譜を、さー演奏してくださいと平然と渡される。

そして、その楽譜で合奏をして、「OK」素晴らしいと自画自賛する空間が存在する

私は音楽にとってこれ程の冒涜はないと思いました。

総譜や楽譜の構造や記法が誤っていては、それはもう音楽ではないのです。 演奏のスキル以前の問題なのです。


坂入 譲