わからないから無用 = 役にたたないから無用

こんな社会いつまで続く

おかしいと思った事がいえない世界、常識とされている慣習を検証をしない世界
そして、理解できない事は無視する世界 こんな事が日常的に存在し、人類の文明において
思考を停止させ、健全な発展を阻害してきたのである

ガリレオは地動説を唱えたときに、その説に疑い、考え自体を排斥しようとする、多くの権威主義者と迎合主義者達にこう説いた
「自分が大きな船に乗っていると考えて見てくれ。そして、大きな甲板の下の窓もない船倉に閉じ込められていると想像してみろ
 窓がないのだから、海岸を通りすぎていきのも見えない。 海がものすごく静かで、船が一定の速さでまっすぐすべるように進んでいたら、どうなんだい。自分が動いているとわかるのかね。 そこでは何もかも自分が動いていないと思うだろう。 グラスにワインを注いでも陸上の上とおなじようにまっすぐ注げる、 なぜか 空気も家具も自分も船室にあるものが全てが船と一緒に動いているからだ。 地球が動いていないと感じると同じ事なんだ。 」

結局これをきちんと科学的に説明をしたのが後の
ニュートンの【運動の第1法則】慣性の法則と【運動の第2法則】運動の法則そしてアインシュタイン つまり相対性理論につながるわけだ。

それでも当時の人はわかろうとしなかった。

偉人 ピタゴラスの率いるピタゴラス教団は「万物は数である」 という強い神秘思想を証明する事に躍起になっていた。
ピタゴラスの定理を発見したこの集団は√2が整数であるということつまり整数の比率が成り立つということを信じて疑わなかった
この発想のお陰で、ピタゴラス音階ができ、ハープが統一され後の平均律につながり そして超ひも理論にもいきつくのです。
だけど、現代にいたって皆が知っているとおり√2は無理数なのです永遠に割り切れないのです。

正方形の対角線が無理数なのにどうして万物が整数の比で表すことができようか、そりゃ無理な話であります

しかし、ピタゴラス教団の中の弟子は√2は無理数である事を発見してしまった。

この存在に激怒したピタゴラス教団はこの弟子を簀巻きにして、船にのせて、海に投げ込んで抹殺してしまったのだから

あな恐ろしや

そして、今や科学に欠かせない微積分の悲劇だ

人は長い間、仏教と周辺宗教意外は「無限」というものを排斥した
それは、「真に無限であることは神だけだからだ」そうだ
古代ギリシャ人はそんな事考えても無駄、何時かは有限だよと無意味化する
キリスト教徒においては、ルネッサンス時代にローマ教会は上記の「無限は神のみ」という破綻した抽象的な定義をまもるために勅令で無限を書くことも禁止した。
積分を学んでいた神学者のジョルダーノ・ブルーノは無限を支持し『無限・宇宙・諸世界について』とい著書をかいたがために 少々哲学的で難解なのですが、異端審問所の責任者であったロベルト・ベラルミーノ枢機卿はブルーノに対し、自説の完全な撤回を求め判決は術・占術の信奉、マリアの処女性の否定、輪廻説の支持というのが加えられ
火炙りの刑に処せられてしまうのである

人が作った世界や社会はこういう劣悪な、権威を成立させている過ちのルールや法則を守ろとしご都合主義になり
それを守ろうとする多くの社会の構成員はその過ちをきがついても 真実が発見されても寡黙するしかないのである

ただ、真実を発見したものは、必ず命を賭してそれを証明し証言しようとするのである、

人類はその恩恵が形になるまでそれを唱えるものは異端もしくは狂人なのである。

とっても悲しいのです。

長いものに巻かれるだけていいのだろうか?

坂入 譲