若干破綻気味
ジュリオ・カッチーニ 1545年頃 - 1618年12月10日 室町幕府将軍は足利義晴、足利義輝。
クラウディオ・ジョヴァンニ・アントニオ・モンテヴェルディ 1567年5月15日洗礼 - 1643年11月29) 室町幕府将軍は足利義輝から 江戸幕府家光
ふーん面白い 一休や卜伝の時代 戦国時代 信長 関ヶ原 慶安の変あたりまでか
アントニオ・ヴィヴァルディ 1678年-1741年 江戸幕府将軍は徳川家綱、徳川綱吉
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ 1685年3月21日 - 1750年7月28日 徳川綱吉
ということは 赤穂浪士をみながら、ヴィヴァルディ、バッハを聞くといい感じかな
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 1756年1月27日 - 1791年12月5日
徳川家重、徳川家治。の時代か桃太郎侍とか
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 1770年12月16日ごろ- 1827年3月26日
徳川家斉の時代かもう幕末じゃん!! 感覚的には理解しているんだけど
ワーグナーなんてもう明治16年だもんな
でもってブラームス交響曲第3番初演(ハンス・リヒター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)のあたりだもんね
ブルックナー4番なんかも マーラーなんかは日露戦争のあたりだもんな
そう考えると 昔のニュース映像なんかに流れているの見ると 今の私たちの感覚からすれば 現代音楽を演奏しているわけで
現代音楽を聴衆は楽しんでるんだよね。
現代人にとって911を映画化するようなもんだよね
だってプッチーニなんて考えたら 蝶々夫人 ほとんどリアルタイムでオペラにしているわけなんだよね
歴史の話からそれます。
ヒットラーがワーグナーに心酔するのも頷ける
ワーグナーの反ユダヤ主義 (メンデルスゾーンへの妬みから引き金になった説に一票 メンデルスゾーンは悪気一切なしなんですが。。)
ヒットラーのワグナーへの心酔ぶりは異常なまでといってもだれも否定をしない
フルトベングラーの著書にいろいろかいてありますし。
ヒットラーが党大会でフルトヴェングラーに「『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を心からお祝いします。」とヒトラーは述べ『ニーベルンゲン・マーチ』と『リエンツィ序曲』で締めくくり
ワーグナーの強烈な反ユダヤ主義の体現として、ユダヤ教会の破壊を、命じたわけである
ワーグナーの反ユダヤ主義がヒトラーを化物のしたと考えることもできる
バレンボイムが2001年7月にイスラエルで演奏してから彼への批判と憎悪は
計り知れないものがあった。バレンボイムのように命をかけて演奏するのなら別だが それをやることは並大抵なことではない。彼は演奏をもってこの巨大な民族的 宗教的な解決に挑んだのであろうが
未だに彼に対しての憎悪はぬぎされていないようである。
音楽というのはもしかしたら最大の狂気と凶器になりうるのかもしれない。
音楽は平和 音楽に国境はない。とのたまう人がいるが、
音楽は民族や宗教にとってはとてつもない武器になるのだと考えるのです。
演奏するものはその楽曲や思想背景を分析して 演奏場所や聴取対象者 そして演奏者にも細心の注意を払わなければならないものかもしれない。
私は意図するしないにおいて 自らが演奏する音楽で 人を傷つけることがあるならば それをしったならば その演奏をすることはない。
なぜならばは*追記で一言だけ書かせていただく。
ワーグナーの楽曲を愛して、私は博愛無国籍主義者ですという人はワーグナーの楽劇を理解していないわけである。
そうやって考えると 現代のアーティストやクリエイター 感覚が遅いよような気がする
なんか二元的の話になってしまった。 徒然とゆるしてください。
若い頃カラオケで十八番だったのが坂本九ちゃんのものまねでした。
私はいつもの通り、当時知り合った仲間の前で、九ちゃんの見上げてごらん夜の星をモノマネで自慢気に披露したのでした。
そしたら 今まで一緒に楽しく飲んで語り合っていた仲間の一人が身体を震わせ
大きな涙を流し 呼吸困難になり倒れてしまいました。
彼を知っている仲間に聞いたら 彼の彼女はあのJAL123便にのっていたのとの事
数年過ぎたとはいえ とても耐えられなかったのでしょう。
その日依頼 彼は現れなくなった。謝罪もできないまま。。。。
本当に辛かった、 知らずとはいえ。。。だから 藝術という人の様々な思想が入り込み人の心の良くも悪くも感動与える曲を扱うときはいろいろ考えてしまうのです。