春琴 観劇
サイモンマクバーニ演出 深津絵里主演の「春琴」を見てきました。
舞台芸術最高でした、キャストが次々に舞台美術として変化する演出は面白い、また音もキャストが作り出していく、
全体的に人形浄瑠璃なんだと思いました。
本條秀太朗さんという三味線引きの腕に驚きました、戸の閉める音から三味線の皮を打楽器として使い、糸巻きで様々な効果、そして三味線を弓で胡弓のように弾き不思議な空間を作り上げていた、
なにより姿勢の崩れない邦楽奏者独特の線が武士のように見えてかっこいい この人のコンサートいきたいな。
深津えりさん、はとっても大きな役者だと思いました。
デビュー当時からのファンでしたが、女優というのを実感しました、
同道してくれた友人様もテレビで観ているよりも生きているという感じが
でていました。
友人と話をして賛同したのは、谷崎文学の舞台としてはちょっと違和感
私なりの違和感は、「春琴」のベースは陰翳礼賛なんだけど、愛の吐き出しが西洋なのよね
日本の美は陰と暗黒の中に表現されている、これは劇中の中でも語られていたのだけど。その意味合いと表現が一致していないのです、
確かに、歌舞伎のエッセンスや文楽 能のエッセンスは盛りだくさんに入っているのだけれど、なにかが違う
なにかが違うのは動きなんだと思いました、 能の面は無表情そして
動きも直線的でスローなのが日本の舞台芸術の奥義だと思っています
そのものズバリのアクションを少し違うと思う、
確かにジャポネスク風であれば世界には受けが良いと思うが、そこに違和感があるのです。
最後まで文楽を通してもらいたかった、黒子の深津えりで十分だと思います。
そう、其処が違うんだ、本当の文楽であるならば、目線は人形に集中され、黒子は空間に溶け込む、しかし、深津絵里さんの存在が人形と分離してしまっていた。
ここが、外人さんの演出の問題なのかもしれません。
それから気になったのは
「春琴」の時間は 春琴と佐助を取材から始まる、お墓の時間と その回想の時間のみである
そこに、「現在」を織り込む必用があるのだろうか、文明論を論じたいんだろうと感じましたが、そこは余計だとおもいました。
でも面白かった
同道した友人が辛口な目線でみていたので、私も辛口モードになってみました