2023年、私は最愛の母についてのブログを書いた。当時の情勢下でペルーへ移民し、「アンデス時報」を買収して日系人への世論工作を担い、終戦後に引き揚げて多大な苦労を重ねた母。彼女は「妾」という立場に置かれながらも、女手一つで私を育て上げてくれた。
母の敗戦体験 ペルーからの引揚 - TeraCoreFM休閑閑話
今回は、その母が命がけで惚れ込み、私に強烈な血を遺した父「荻野肇」の話を綴りたい。
■ 子供の頃、「大ボラ」だと思っていた父の武勇伝
母は父の妾の一人であったため、父が我が家に顔を出すのは月に1、2度あるかないか。中学生時代には、毎月の生活費をもらうために、五反田にある「父の別の愛人の家」まで私が通わされた時期すらあった。
私から見た父は、どこまでが本当で、どこからが嘘かわからない武勇伝を語る、規格外に豪快な男だった。 「福田赳夫の用心棒をやっていた」「国交のない韓国と中古タイヤの貿易で大儲けした」、そして口を開けば「帝拳(ボクシングジム)は俺が作ったんだ」と豪語していた。
唯一、それが事実だとハッキリ分かっていたのは、父が昭和の音楽シーンを席巻した「エレックレコード」の社長だったことだ。 よく渋谷公会堂などの楽屋に連れて行かれ、当時大人気だった『ずうとるび』の山田君や江藤君に遊んでもらったり、武田鉄矢さんや、あの『金太の大冒険』のつボイノリオさんと話をさせてもらった記憶は、今でも色鮮やかに残っている。
■ ボクシングか、騎手か――理不尽な二択
小学生のある日、痩せて小柄だった私を見て、父は凄んだ。 「お前がなれるのはボクサーか競馬の騎手だけだ。どっちか選べ。俺が紹介してやる」
まだ世界をよく知らず、ただ『あしたのジョー』が好きだった私はボクシングを選び、麻布にあるファイティング原田さんのジムに通わされることになった。しかし、人に暴力を振るう度胸も才能もない私は、怖くてジムをサボり続け、「俺の顔を潰す気か!」と父から大激怒された。
その後、中学に入ってブラスバンドに夢中になった私は、父に向かって「音楽の道に進んで指揮者になりたい」と大嘘をぶっこいて土下座した。あの時の、父の呆れ返ったような顔は、今でも懐かしく思い出す。
■ 知るべきではなかった? ネットが明かした驚愕の真実
母が亡くなって数年が経った、最近のこと。久しぶりに妻と父の思い出話になり、ふと「あの武勇伝はどこまで本当だったのだろう」という好奇心に駆られた。私は手元にあった戸籍情報から、祖父の名前をネットで検索してみたのだ。
しかし、その行為は「知らない方が良かった」と思えるほどの、底知れぬパンドラの箱を開けることになった。
父の父親(私の祖父)である「荻野貞行」のWikipedia、そしてスポーツ雑誌『Number』の記事を発見した私は、文字通り震え上がった。
父の言っていたことは、何一つとして嘘ではなかったのだ。
祖父・荻野貞行は、日本プロボクシング草創期の強豪であり、名門「帝拳」の正真正銘の創設者(初代道場主)だった。その多大な功績から「日本ボクシングの母」と称され、映画の主演まで務めた本物のレジェンドだったのだ。「帝拳は俺の家系が作った」という父の言葉は、100%の真実だった。 (※興味のある方は、ぜひこちらの細田昌志氏の記事を読んでみてほしい)
さらに私を驚かせたのは、その設立資金の出処だ。曾祖父・荻野卓造は、頭山満や内田良平といった歴史に名を残す大物右翼・国家主義者と深く繋がった活動家であり、右翼団体「山梨勤皇会」を組織していた。名門・帝拳は、その右翼系の資金が源流となって作られたものだったのだ。
荻野貞行がでてくるYoutybe
■ 戸籍が証明した一本の線、そして血の行く先

添付した戸籍画像の、赤枠で示した部分に注目してほしい。 手元にある父の古い戸籍謄本を開いてみると、そこには出生地がはっきりとこう刻まれている。 「東京市麹町区永田町二丁目六十二番地」
現在:現在の住所表示では「永田町二丁目62番地」という地番は存在せず、このエリアは主に永田町2丁目14番地などに統合・変更されています。
父の誕生の地は
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山王グランドビルがあった場所
国会議事堂のすぐ裏、まさに日本政治・権力の中枢である。 右翼の重鎮の血を引き、永田町で生まれた父。だからこそ、福田赳夫の用心棒を務め、戦後の闇ルートで韓国と渡り合っていたという話も、すべてが一本の線で繋がった。
母は、そんな怪物のような血脈を持つ男の影で、泥をすすりながら「妾」として私を必死に守り抜いてくれたのだ。
昭和のスポーツ界、芸能界、そして政治の光と影を体現したような父・荻野肇。そしてその片腕で私を育て上げた母。二人のあまりに激しすぎる生き様が、今の自分の身体にも流れていると思うと、途方もない畏怖と、不思議な誇り、そして底知れぬ恐れが湧き上がってくる。
「親父、あんたの言ってたこと、全部本当だったんだな」
もし、あの時私が中国から逃げ出していなかったら――。もしかすると私も、この巨大な闇の血脈の跡目として、何らかの事態に深く関与することになっていたのかもしれない。
過ぎ去った時間は、もう取り戻せない。 ただ静かに、両親の壮絶な人生に合掌するのみである。
今 私は親父が逝去した年齢で 心臓と骨髄の病気になった。 不思議な因縁を感じます。


