TeraCoreFM休閑閑話

旧butiPanther'sblogからタイトルをTeraCoreFM休閑閑話に変更しました

母の敗戦体験 ペルーからの引揚

今年 2月に私の母が亡くなり始めてのお盆になります
そこで私の母の戦争体験を話します。
母は昭和14年の1月に生まれました。
丁度、近衛内閣総辞職のさなかにペルーで生まれました
母の父は詳細は避けますが、「アンデス時報」といった日系人向けの社主をやっていました。
簡単にいいますと、日本軍部における指導の下にプロパガンダ諜報機関としての任務のしたに
ペルー国内での諜報活動をおこなっていました。

祖父の名前が記載されている記事



http://jiritsujp.blogspot.com/2010/06/diarios-japoneses-peru-newspaper-japan_14.html
祖父の記載されている部分を翻訳引用

最初の日本版でした。 1913 年 11 月 30 日に発行された日本語の文字が印刷されたペルーの新聞。
伊藤恵一の指導と斉藤宣志の提案の下、ペルー日本人協会によって編集された。各版は 8 ページから 10 ページで構成されていた。しかし、
その前年の 1928 年に、同社は日本人協会の役員とは関係のない人物、坂入武雄によって買収されました。 ―

記載されている通り、ペルーに移民した日本人の中でも紆余曲折があった事件だったそうです。

当時のアンデス時報



この時代は、 張作霖爆殺事件,済南事件,国内では特別高等警察が設置された時代です。
ペルーは大恐慌の影響もありクーデータ アメリカ人民同盟(いわゆる社会主義革命)が扇動し暗殺が多発する血で争う国内情勢でした。

日系人は日本の戦況が悪化するにつれ、排日運動等があり、日本軍部に近い、アンデス時報の社主の坂入家への風当たりが強くなり
ペルーから日本へ帰還することになりました。

ほぼ着の身着のまま船で日本に帰ってきた坂入家は晴海についた途端に当時の経済情勢の下の日本国民にみぐるみをはかされ、
一文無し状態になったそうです。

さらに母の名前もフーリア 兄弟もキリスト教の洗礼名をファーストネームにしていたので差別を受けました
また言葉もスペイン語しか話せなく相当苦労したそうです。
よく石を投げられたとぼやいていました

こういった、南米からの復員・引揚者の話の体験はなかなか発掘されません

まだまだ知らない日本の敗戦事情がたくさんあります。

お盆、終戦記念日に寄せて