TeraCoreFM休閑閑話

旧butiPanther'sblogからタイトルをTeraCoreFM休閑閑話に変更しました

昨日の日記の続き

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=164535043&owner_id=218199

そういえば 昨日 萩原聖人が光クラブ事件の山崎晃嗣役を演じ自殺するまでをドキュメンタリータッチで巧く描いていた
 
意識がなくなれば 無になる というようなせりふ 性格には覚えていない 淡々と自殺ををこなす 山崎のシーンは 
 ちょっと今の自分にとって怖くなってしまいました。

いや話をもどそう

シュレーディンガーの猫の実験にたとえるのならば
 
 もし仮にこれから自殺をしようとしている私がいるとして
実行するか 実行しないかは 原理的には50%だが 
そして 未来を観測するという 現在時間の世界にいるわれわれにとって 原理的に考える自殺を試みる 私の生死は表裏一体で重ね合わさっているという事なのか? 解すると50%という確率は存在しない 死ぬか生きるかは互いに100%という事であり その相違の時間の存在は平行に時間を経過するという事と解釈していいのだろうか?

やっと波動関数が理解できてきた
波動関数の確率

俺がt時間後ベクトルqに存在する確率密度
それを表現するためには

すると複素数関数になるから  虚数の世界と重ね合わせているという理論が説明できるようになる

なるほど 宇宙戦艦ヤマトのワープシーンのオシロスコープはそれを現そうとしていたのか すると あの波形は間違ってるぞ おい 本当はx軸(実軸)とY虚数軸の縦の位相波形でないと 説明できてないよ。でもあの光点がヤマトの位置を表しているわけね。
とにかくワープ失敗すると虚数世界にぶっ飛ぶと言うわけだw
 でも波形の中央 0原点でワープするから それはやばいよ
 時空の狭間にあわせると言う事なのかな 漫画だからいいや
真田さんの信頼ど急落w
 話それたwww


すなわち この苦境を乗り切る俺と 無意識 無時間の世界に行く俺が二つに分裂するというわけか


 そうかそうすると確かに矛盾はしない理論上。しかし
この理論はあくまでも観測者からの時間と物理学的現象だから
 観測者の存在が定義されていなければならない

そのような観測ができるのは神のみ

するとかのアインシュタインがいった
‘He does not throw dice”の意味が見えてくる

うーんわけわからん