良い修羅場とアドバイス
保坂氏は重ねて「5歳で少年院。それでいいのか」と質問。法相は「想定し難いと思うが、世の中どういうことがあるか分からない」と繰り返した。
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の回答は 司法を担当する所管大臣として、間接代表として選ばれている国会議員としては極めて妥当である。
要はその法律を決定する、国民の関心とリテラシーの問題だといっている。
数学者の吉田 武も 石原 慎太郎も以下の主旨の発言をしている。
正確な記憶ではないが、私が捉えた、発言の主旨は以下のものであったように記憶している。
子供が純真無垢であるというのは、妄想にしか過ぎない。
私なりに解釈をして考察してみると
子供は未成熟であり心身ともに成長するものである。
子供には大人に想像もつかぬ、 それは単純な喜怒哀楽などではない、激しい妬み・嫉妬 孤立感、過剰反応・焦燥感・疑心暗鬼 そして、殺意を強烈に自然に抱くものである。
未発達で成長過程にある健全な子供は常に心理的なパニックに陥いりながら、自分の心の状態の対応を身につけていく。
そして、その対応を身につけていく指針となるものが 親であり、兄弟であり、家族、友人 社会と影響していくものであると思う、 私の記憶にある発達心理学の流れはたしか、こうであったと思う。
生後直後の心理状態は「不信感と信頼感」 此処を上手に親が対応できると、愛情と信頼感と希望を育む
幼児期 「自律的な意志と恥」を育む ここで何かをやりたい、トイレを一人でいけるようになりたい、だれかにわかってもらいたいという気持ちが形成されチャレンジ精神が身につく
ここに兄弟など存在すると、兄弟愛や母性愛が見につき、自分より弱いものを愛したり、かわいいと思ったり
守ろうとする気持ちが発達する重要な時期になる
そして思春期に至るまで ここで 生産の喜びと劣等感、そして、副産物として、妬みや殺意、差別意識が形成され、罪悪感との狭間で悩み 大人としての人格を形成していく
私は、この段階までに子供に対しての適切な対応を大人が適切にしているのかという事です。
いい意味での修羅場で 心のコントロール、優しさ、愛情 強さを誇示する適切な状態・コミュニケーションのとり方 礼儀や道徳心 うちしがれるようなこころの悲しみを感じたときに、どうやって立ち上がっていくか
指針となる大人が子供のまわりにいるのか。
私は、そういう事ができる親や家庭がすくないのではと思う。
私の経験談をいうと
小学校の頃、弟を殺そうとした、手段は弟がお風呂に入っているときに 給湯器の温度を最大に上げ
やけどを負わせた。 非常に罪悪感をもちました、そして、自分のやった事に恐ろしさを感じました。
また 弟と兄弟喧嘩をしているとき、私の母親は 二人を裸にし外に放り出し、死ぬまで戦えとけしかけました。「サー殺せ! やれ!!」 私たち(弟の考えはわからんが)は二人で必死になって母親に許しを乞いました。 裸にされた羞恥心をしりました、そして、私は戦う理由があまりにも、くだらない理由だという事
暴力という手段意外でも戦う方法をしりました。そしてそのために我慢をすることも、勝利をする、利益を生む事 仲間との達成感
友達が病気で臨終を迎えるとき、なんともいえない悲しさと たった数年の付き合いの感謝 大切な人を失う悲しさが身にしみた
そして、恋愛、失恋、悩みくるしみながら、暗中模索で微調整しながら、今日に至る
そうやって成長してきたような気がします。
ようは子供がもがき苦しんでいるときに廻の大人は何をしているんだ。という事
何もしてあげなかったら、子供はただの狂気の塊となってしまう。
子供に心の痛みや優しさ、強さをおしえるための厳しい修羅場と適切なアドバイスを誰がしてあげてるんだ。
元来、子供は恐ろしいもので狂気の塊だという事を認識する必要がある。
私が、今考えたキャッチフレーズ
「あなたは、何をしてあげられますか?」「あなたは、子供に尊敬されていますか?」
「自分とあなたの大切な絆をみつめてあげてください」
どうかなAC広告機構で使ってもらえるかな^^
言いたいことは。理性の無い社会 家庭には 理性のない
子供が育つ それだけですよ。。、