今なにを優先しなければならないのか それは練習
三昧とは 精神集中が深まりきった言葉を指します。 禅やヒンドゥー教における瞑想
の境地に至ること。 つまりランニングハイの状態 もっと言えば無我夢中に達すると
いうことです。
つまり修行
Wikipediaの記述によると
この三昧に至る過程には、空無辺処・識無辺処・無所有処・非想非非想処の4段階があるとする。前の4つを「四静慮(四禅)」、後の4つを「四無色定」としている。さらに深まった状態として「心のあらゆる動きが全く止滅した状態(滅尽定)」があるとしており、以上9の段階を「九次第定」と数えている。
これまたWikipediaの記述によると
釈迦はこの四無色定天をも超えた何らかの境地にあると後の人々から理解されている。仏典によれば、釈迦は出家してすぐに無所有処と非想非非想処の境地に到達したが、そこで満足せず苦行を行い、さらに苦行を捨てて新しい行法を求めた、という。
またまたWikipediaの記述によると
Samādhi を意訳したものとして、以下のような言葉がある。
定
心を一処に定めて動くことがない、の意。
正受
正しく所観の法を受ける、の意。
調直定
心に暴を調え、心の曲がるのを直し、心が散るのを定める、の意。
正心行処
心の動きを正して、法に合わせるための依処である、の意。
息慮凝心
縁慮を止めて心念を凝結する、意
つまりだ
遊び呆ける、快楽に浸り漬けになるためではないのです
なにがいいたいかというと コンサートという自ら決めた 正心行処に向けて
正受 正しく 自分達の演奏を見つめ 聞きに来てくださる人への気持ちに真摯に応えるため調直定、息慮凝心をして練習に励むそういうことなのである
私にとってはこれが情熱ということなんです
仕事にしても 音楽にしても、プライベートにしても
少し窮屈なのかもしれません 私の性格 それはさて置き
練習はしなければなりません どんなに下手糞でも。
ぎりぎりまで追い求めてその結果を示すのが 自分たちの表現だと想う
こんな大宗な事を書きますが、自分なりのゴールに目指して頑張りたいという気持ちなんです。
それが 自分たちやお客さんに捧げるサービスなんだと思います。
私たちなりに練習三昧をしたいのです。