TeraCoreFM休閑閑話

旧butiPanther'sblogからタイトルをTeraCoreFM休閑閑話に変更しました

山の日 やることなくて 偉人啓もうのリスクについて考えてみた

休みの日にやることがなくて考える

大河ドラマや伝記ドラマや出版物で過去の偉人とされる人を尊敬してあこがれる人がいると思います。
中には熱狂的な人もいます。でも、考えてみてほしい事があります。

今、現在においてその尊敬する人のように生きる事ができるだろうか?
例えば
田中角栄は、高度経済成長期に日本を牽引した政治家です。しかし、彼は、金銭授受などの疑惑を抱えており、現在では、その政治手法は批判されています。また、松下幸之助渋沢栄一は、日本の近代化に貢献した実業家です。しかし、彼らのビジネス手法は、現在の労働基準法環境保護法 金商法、不正競争防止法 独占禁止法に違反する可能性が簡単に考えられる。
SDG’S ESG投資の枠組みからオミットされる
もっといえば、女性スキャンダル、詐欺罪等も適用されるだろう

 

かつての政治家たちも、現在のSNS時代にあっては、当時は歯切れがよくスカッとする発言とか評価されていても、今では、確実に炎上するだろう

文春砲におびえる毎日

つまりだ、過去の偉人を単純に尊敬することは、問題がある。なぜなら、彼らは、現在の社会とは異なる時代を生きており、その時代背景や価値観を考慮せずに尊敬することは、正当化できないからです。過去の偉人を尊敬する際には、彼らの功績だけでなく、その時代背景や価値観についても理解することが重要です。

戦国時代の 信長、秀吉 家康の生き方を模倣するなんて事は現代の価値観ではできない事はわかると思います。

問題点として
問題点が挙げられます。

・過去の偉人の功績は、現在の社会では評価されない場合がある。
・過去の偉人の時代背景や価値観は、現在の社会とは異なる場合がある。
・過去の偉人の思想や行動は、現在の法に違反し、慣習、ビジネススキームに反する可能性がある。

過去の偉人を尊敬する際には、これらの問題点を理解し、尊敬するかどうかを慎重に判断することが重要だ

これは宗教にも言えることだろう。