TeraCoreFM休閑閑話

旧butiPanther'sblogからタイトルをTeraCoreFM休閑閑話に変更しました

藝術が心の薬というならば副作用もあります。

藝術という主張は強い毒性があるものだ ワーグナーの楽劇はその思想背景を考えれば、ドイツ国家にしても欧州にしても ユダヤとの関係においてもかなり慎重に表現していかないと様々な人にハームフルな影響を与える 我が国のように日独伊三国同盟の施政下においてワーグナーを脳天気に礼讃する人たちもいるが、過激な思想体系をもった藝術だということを理解してほしい。 子供たちが 音楽は平和の共通言語だと教えられ、無思慮にワーグナーの音楽を様々な人の面前で高らかに演奏することはできない 音楽に限らず藝術は思想や個々の心理描写のエッセンスの塊であるなので優れた藝術が全て人に良い刺激を与えるとは限らない。 藝術といのは思想の表現武器である一面も忘れてはならないと思う

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20130510-OYT1T01215.htm

ただし其の藝術作品が悪影響を誰かに及ぼすからといってその存在を排斥、抹殺してはならない 要はその存在威儀を理解できるか どう受け止めるかは個人の趣向なのである それには作品を十分に理解し読み取る力が必要ということです。 日本の音楽 美術教育に抜けているのは個々です、藝術は素晴らしく美しいものであり必要なものであるとしか教えていない 副作用についての但し書きがない これを大前提にしないとただの快楽主義になってしまうということです

ちなみベートーベンの第九のシラーの詩も私には十分に歓喜できないのです フリーメーソンの理念における共和国主義であり強大な宗教的思想の下で暴力的の快楽を貪り狂信的な思想を歌にするのは極めて危険思想だと思っています。

 

根性は人間の品質

根性とは
文字通り 「根」「性」

昭和の体育会系の「根性」とは違う

仏教では
仏教では仏の教えを受け入れる者としての、宗教的な素質や能力を指しています

そもそも 仏の道に入門する者の「潜在的なパフォーマンス」
つまりもって生まれたその人の潜在能力

つまり
「おまえら根性出せ!!」といって元々その力をもっていない者に出せといってもだせないのです。

あるがままの能力を出すことを根性を出すという事になるのです。

その能力とは「吸収力」だったり「理解力」なのです

仏教の世界で六根清浄(ろっこんしょうじょう)と言う言葉があります
その六の根の能力とは
眼根(視覚)
耳根(聴覚)
鼻根(嗅覚)
舌根(味覚)
身根(触覚)
意根(意識)
なのだそうです。

そして根性の「性」は生まれついての本質との事

この6つの能力と生まれ持った本質を発揮する事が根性を出すということなのだそうです。

安易に無理難題に挑む限界を超えた努力の事を指す訳ではありません

根性論的精神論というのはそんな安易なものではなく

人の能力の品質を指すのだと 知りました。

「和をもって尊しとなす」を尊重したいね 古来依の文化を大切にしたい

昨今、憲法改正議論が盛んでありますが
どうも、気に食わないのです。
日本の憲法を議論しようとすると必ず明治維新に帰結する方向に走る

そして自衛権の話になる
しかしそれは専守防衛論と自衛権の発動の範囲にかぎり国防論に終始してします

折角、真の独立国 としての憲法を発布するための議論ができる時代となったのだから
日本の歴史や文化全体を捉え、日本人とは一体どんなアイデンティティを持つのかはっきり定義してほしい。

少なくとも私は明治維新といった瞬間的なテロリズム政変による時間を日本を捉える原点としたくはない。

手元にある小学館の「日本の歴史 23開国」のと鳥影社の「幕末デキゴトロジー」を中心になぜ明治維新はテロリズム政変なの考えてみます。

その前に大河ドラマを見ていると新選組が主役になれば幕府よりの尊王攘夷
坂本や高杉そして西郷などが主役になれば開国論 今の人は毎年のように変わる正義の手のひら返しをどう感じているのだろうか?

私は時代というものに明確な正義はないと思うおおくの議論が有り多く論点があり多くの事件の上での結果論一括りに「こうだ!」とは言えないと考えています。 その上で私の主張はアンチ明治維新に少々偏向しています。

日本は黒船が来る前から大混乱 南部藩の大一揆 ええじゃないか 大塩平八郎の乱
内政は混乱
そして外交面では、アメリカ以外に 日蘭、日英、日露、日仏の通商条約締結要求と圧力があらゆる局面でされ
そして威圧行動もされていた。
そして 清やインドの状況をみてもマカオの状況をみてもアヘン戦争をみても その通商条約だろうが、和親条約だろうが
欧米各国の不公平極まりない「開国」の名をかりた。植民地化を要求されてきた
国内でもシーボルト事件や薩英戦争、フェートン号事件が起きてややこしやな状況
時の幕府老中 阿部正弘 どうも草刈正雄が思い浮かんでしまんがいろいろ努力していました。

朝廷も恐れを感じ幕府の阿部も挙国一致体制を組み始めた。 越前、水戸藩、薩摩そして世論による会議体です
なんか現在に符号しますな。

そんななか、世論や過激な人たちは攘夷論を唱えはじめます 恐怖の胎動のはじまりです。

そんなか この挙国一致体制は公議輿論と公議政体を構築し始めたつまり日本型民主主義 これあまり知られてないんですよね

そして井伊直弼が大老になると通商条約をとりあえず締結
そうすると世の中が不満たらたらになり政情が不安になる
幕府的には強権発動 安政の大獄となってしまいました。
そして水戸浪士立ちが桜田門外の変で井伊直弼を暗殺

国内では水戸浪士たちが残肝と夷人斬りを行うそれに土佐半の武市等の暗殺一派が活躍する
そして 天誅がはやり日本人同士が殺しあうようになっていく

この時点で
日本の権力構造は
佐幕派、尊王派、攘夷派と組成されていく

それぞれのスタンスは幕府は当然佐幕、で尊王
朝廷は佐幕で攘夷論
長州は佐幕で尊王、攘夷
薩摩は佐幕で尊王 開国

この時点ではどの勢力も佐幕派であり尊王論

そんな訳で孝明天皇は皇女和宮親子内親王堀北真希設定)の降嫁を決断し、公武合体がなるわけである


ところが、吉田松陰に学び過激な思想を抱いた青年は当時清の上海に渡り 「太平天国の乱」を見聞して
テロリスト思想に目覚めて日本に帰国するわけです その時にユダヤの資本家との交流が深まり革命思想を
成熟させるてしまうわけです
それが1862年 そして1863年には生麦事件の報復薩英戦争で長州藩が砲撃をする

攘夷を主張する孝明天皇はお怒りの思し召し

高杉晋作は勢いづいて、奇兵隊を組織し、長州正規軍と争い始める同時に伊藤博文なども
民兵組織を整え始める まるでタリバンのような民兵組織を醸成させていった

そしてこの方々は1863年1月31日には英国公使館焼き討ち事件を実行している
隊長:高杉晋作
副将:久坂玄瑞
火付け役:井上聞多(後の井上馨)、伊藤俊輔、(後の伊藤博文)寺島忠三郎
護衛役:品川弥二郎、(後の枢密顧問官)堀真五郎、松島剛蔵

完全なテロ行為でしょしかも 伊藤と井上は焼き討ちしときながらちゃっかり
英国に密航し 英国の手先となる。

そして、八重の桜でおなじみの会津藩薩摩藩 新選組の登場する時代に京都の治安は変化する

高杉晋作伊藤博文、朝廷の過激派三条実美「功山寺挙兵」でクーデター、所謂、「元治の内乱」を起こす

そして時代は禁門の変、 下関戦争、 第一次長州征伐 の発展しいっきょに倒幕運動に発展していくわけです

禁門の変では八重の桜でも描かれたとおり京都に市民3万人近くを焼き払うという無差別テロを実行する
これは許せない。

そんな時に薩英戦争で手痛い目にあった英国が下関戦争を始める

そこに目をつけたのが 高杉に革命思想と金融の魅力を教えた
あのジェームズ・クラベルのベストセラー小説「タイパン」M&Aタイパンと呼ばれた男主役ピアスブロスナンのモデルの会社
ロスチャイルド系ジャーディン・マセソンの子会社トーマス・ブレーク・グラバー
「ジャーディン・マセソン商会」長崎代理店として「グラバー商会」を設立します。
そこに高杉晋作の紹介した。
坂本龍馬岩崎弥太郎 ちなみに 横浜の「ジャーディン・マセソン商会」「英一番館」の横浜支店長は吉田建
あの吉田茂の養父なんですよね

テロリストなのに売国奴 
本当に死の商人だな
アイアンマンに成敗してもらわないと。

そして孝明天皇はヒ素による暗殺

その裏には岩倉具視がおり そして倒幕に寝返った薩摩の大久保と西郷が手を結ぶ
岩倉具視明治天皇を擁立
そして大政奉還

そして岩倉具視は「王政復古の大号令」を発する その影で大久保利通は佐幕はの重鎮を皆排斥してします
そして京都で軍事クーデターを企てる。

慶喜の頑張った、英・仏・米・蘭・独・伊を引見させて 徳川幕府が正統政権と内外に発布する

しかし鳥羽伏見の戦いが始まって形成は総崩れ

嗚呼無情

そんな訳で明治維新が成立したわけだけど

廃仏毀釈や神道国教化政策を行い 天皇の偏った大権を与え 富国強兵、脱亜論が跋扈し
日本は侵略、戦争に満身して、最終的には強国の策略にはまり 強烈な原爆というしっぺ返しを食らってしまった

これ以前の日本はいろいろありましたが、 聖徳太子の十七条憲法 「和をもって尊しとなす」を尊重し、神仏習合思想ではなかったのか

あの幕末現代のようなメディアがはいっていたら、 完全なテロ戦争で明治維新は
タリバンのような政権による支配体制にしか見えないはずだ。

西郷は大久保により西南戦争で自刃に追いやられ 大久保利通伊藤博文は暗殺されてしまう
まさに血で血を争う内乱政権

現在の国際情勢からいったら論外の国家だったと思う。
坂入 譲

Data_science

The business case for any loyalty program me needs to be well supported and justified,not only in the planning stages but on a continuing basis after implementation,and during development.

The application of solid math,statistics,and measurement is the only way to prove the effect the program me is likely to have on profitability and the customer base.
and the application of regular and meaningful is the only way to monitor all the factors both before and after implementation of the program me

formula,and indexes that build the scientific case for customer loyalty, analyzing evry last detail of customer behavior and transitional data,
and even demographics
These are ignored.

Should be designed important data is

  • the calculation of customer loyalty index
  • customer lifetime value's
  • practical statics
  • customer segmentation (ex:RFM)
  • Measuring loyalty (Index was calculated independently)

To help competitive CRM system, mathematics analyst requires very

 Yuzuru Sakairi
坂入 譲

 

甘いかもしれんが―がんばれ論―壱

人生半生記近く生きてきても尚、難しく、時には憚れる言葉がある。
 苦しんでいる人に「頑張れ」自分にたいして「頑張れ」

なんかつらいんですよ 人に声をかけるのも、自分で「頑張る」と誓う事も

語源的に有力な説の我を張るの動ラ五であるとして。

そんなに己を張って生きても衝突を生むし、張りすぎれば破綻すると思う

英語でいったら 「Do yore best」「besteffort」

ベストを尽くせ!というなら なにがいったいベストなんだろう

逆に これを日本語に変換すると「人事を尽くして天命を待つ」

になるのだろう。

一所懸命頑張ってきて、やること尽くしてる人に対して尚、頑張れ!

そりゃ酷な話ではないか?

「人事をつくして天命を待つ」なら

「Good Luck!」でいいじゃないか

運否天賦 で 果報は寝て待て
ということではないか

頑張って来た人に「頑張れ」はいえない

努力をしない人には「頑張れ」だ「Do yore best」って命令形でいいわけだ。

そう思いませんか?

―がんばれ論―弐

よくよく思い起こしてみると。
頑張れ=我を張る 
ならば この関係は矛盾している
置き換えると
日常的に頑張れは「応援」の意で使われているが
「我を張る」は日常的に「我を張るのもいい加減にしなさい」「お前が我が強すぎるんだ」

自己の固執の抑制を示唆される場面に適用される

つまり 「頑張れ」という言葉は一定の局面において己だけに執着をし続けろと
いう事になるのではないか

一対一の勝負の局面において己を信じきらなければ負ける局面において、人事を尽くした事を出し尽くさなければ勝てない時に有効な言葉なのではないか?

しかし 目的がはっきりしない 「頑張れ」は

自己の執着力を増加させる作用を働かせる

ということは 頑張れを示唆された効果は「我慢」に発展していく

我慢の意は本来自分に執着することから起こる慢心を意味し、「高慢」「驕り」「自惚れ」である
よって
「我を張れ」=「我慢をしろ」
という事になる

つまり頑張れは執着の精神論

仏教的に執着はあまり良いことではなく

放下着の精神 自己を解き放し 己を自然の摂理の中に置く事が大事

とされているので、
「頑張れ」の作用は執着を増加させ我慢を強いて、最後には自己の破綻まで誘導する 非常に強い副作用を持っている劇薬だということだと

最近感じているのです

「この国の思いやりは、世界遺産」

[「この国の思いやりは、世界遺産」:title=http://www.ad-c.or.jp/campaign/self_area/03/index.html ]

ピーター・バラカン氏に言われるの癪なのですが
とても共感できます。
しかし、どうでしょう どうしてこの思いやりが社会から排除され薄れてしまったのでしょう。
それは日本人が誤った認識で欧米の感覚を捉えて利己的な自己中心主義に注目してきたからではなないのでしょうか、NOといえない日本人。ディベートの強化 言葉で勝つ事のみ
社会の発言力を保持できると信じている人達が多い

日本人の奥ゆかしさやおもてなしの心などはいる余地がないコミュニケーションを実社会の現場では要求されるし、一部では子供たちの教育にも導入されています。

ここでいう思いやり、「さりげなく、なにげなく、相手を思いやること」を実現するためには日本人の文化や歴史感 宗教観により育まれた、畏敬の念や礼節をしらなければ、この思いやりを発動できないのである
 目配り、目付、立ち居振る舞い 位の持ち方 「真・善・美」「時・所・相手」に相対する所作、「和敬清寂」「一座建立」「一期一会」の心やその術をしらなければ、相手の気持ちも読めないし、まず己の心も律する事ができないと思うのです

一体 多くの我々日本人はこの美徳をどこで学んでいるのでしょうか?

自ら進んで 武道や茶道や伝統芸能や礼法を学ぶ人のみが隠れて継承しているだけ
しかし 実際学んだ所作を習得して実社会で実行すると奇異な眼で見られるのです
拝(はい) 揖(ゆう) つまり最敬礼や会釈をしても無視や奇異な眼で見られる

日本人のもつ美しい方を日常で使うことができない世の中です。
良くて日本文化が好きな人、なにかを学んでいる人なのだ、わるくいえば何を気取っているんだあいつは!

思いやりは相手との心の距離を知り 心からのコミュニケーションを図るすべなのに

言葉だけ思いやりといっても 「理」と「術」をしらなければ まったく意味の無いことなんだと思っています。

生きている事の感謝 人との縁への感謝 万物への感謝の心が其の所作につながると思うのです。

言いたいことは最後なんだけど 長文になちゃった!

高度経済成長時代と80年代後半のバブルを経験し自由を謳歌していたような気をおこしていた世代
実は私もそうなんですよ。

今 世の中のオピニオンリーダーや政治家 を問わずそれなりの地位を占めている世代
私たちが自覚をしなければならないのは

あの敗戦から軍国主義アレルギーと利己的な高度成長時代と過度な平和への希求を願った教育環境と世論の中で育まれた
私たちはどこか歪んでいるのです。

今日は私達の正義論を語ってみたいと思いました。
僕達にとって正義のヒーロはウルトラマンと仮面ライダーやデビルマンでした 石ノ森章太郎さんや永井豪さんの作品は設定が
裏切りからはじまり正義を論じています、そして冷戦構造 反共産主義的な匂いがありました ここから移る正義像はなんとなく子供心に複雑な思いを感じていました。

しかしウルトラマンは私達世代にとって強烈な正義の錯誤を植えつけているということに大人になってから気がついた全てではない ウルトラセブン等はシリアスな社会を描いていたしシニカルな作品も多い

問題です ?ウルトラマンは正義のヒーロなのでしょうか??ウルトラマンは人間なのでしょうかそれともバルタン星人メフィラス星人と同様の異星人なのでしょうか?
?バルタン星人の巻
46にもなるとこんな視点で昔を思い出すのです。
金曜日の妻達のプロヂューサーの飯島敏宏のペンネーム千束北男の脚本で描かれた第二話、「侵略者を撃て」言わずとしれた
バルタン星人の話なのです。ストーリーはあまりにも有名なので説明は省きます
 私の論点を整理します。
 彼らの故郷であるバルタン星は発狂した科学者の行った核実験により壊滅。たまたま宇宙旅行中であった20億3,000万人がこれから逃れた。故郷を失って難民になった。
 アラシ隊員に憑依し若干の交渉があり、地球居住を一方的に宣言し破壊活動に及んだが、この一体のバルタン星人が20億3000万の全権を移譲された代表者とは推論できないのです。その上で地球人より高度な知能をもったコミュニケーション能力を持った人格の生命体の20億3000万もの生命を問答無用でスペシューム光線で焼き払ってしまった、この時点で戦時国際法のジュネーム条約或いは難民の地位に関する条約を破棄した、虐殺行為という描写と描かれたわけです。

つまり、バルタン星人がシリーズ通して何回も登場するのは賠償金を払え 謝罪しろと要求しているわけです。

それを私たち少年はスゲー かっこいい 正義のヒーロ ひかりの国から僕らのために来たぞ我らのウルトラマンと謳歌したのだから今思えば、大量虐殺の容疑で国際指名手配の要件を満たしているウルトラマンを擁護した、新興宗教の熱狂信者の状態になっていたということです。


?ジャミラの巻
「故郷は地球」のジャミラ  あの時代の設定から ソ連の宇宙飛行士の慣れの果てとなった明確な地球人であり人間なのであるが、地球人に見捨てられ自暴自棄になって怪獣の特殊能力を使い放火や破壊活動を行う かなり情状酌量の余地はあり保護をしなければならない対象なのだが、実際のセリフを引用すると「ジャミラが元は人間だったという事実を公表せず、あくまでも『怪獣』として葬り去れ」 ウルトラマンと科特隊の共同攻撃で言葉にならない無念を訴えながら死んでいくのです。 えーー これは子供心に泣けた話です。
科特隊の良心イデ隊員が ジャミラの墓標の前に「人間のエゴにすぎない」とつぶやく
やるせなかった。。。 それでもう

やっぱり日本人は組織の命令に逆らえないんだ。 殺れといわれれば殺るしかないんだ

ウルトラマンだって人間に化体し変身したらバルタン星人同様の異星人であり地球人から怪物
の他なにもものでもないではないか!

いかなる承諾を得て地球に居住し、いかなる権利において、地球の軍事行動の一翼を担っているのかそしてどこの組織に帰属しているのか?国際組織の科特隊 それでもその存在は略日本独占なわけなので、軍事上他国から問題提起されると思うのです。

つまりこの世代はダブルスタンダード 他人には厳しく、自分には甘い 利己主義な存在という思想体系の中で我々新人類は
育まれているのです

そんな感覚に気づきもしないこの新人類の世代にこの日本の外交 軍事、経済を背負わせていいのだろうか?

奇遇にも1969年昭和44年生まれの弁護士出身の政治家と1932年 (昭和7年) 9月30日の作家の知事の関係は
知事の戦後復興の過度な国家論を示し、新人類のお兄ちゃんはそれを甘受した世代であるという組み合わせ
つまり 小説家の世界が現実にお聞かれているフィクションが具現化されるということ

どうなんだろう
坂入 譲