どこぞのコミュの憂鬱
mixiやgree等のSNSは原則リアルな知人を対象にしたコミュニティー 自分のホームにテリトリーモラルが潜在的に働いてる。 だから 等身大で表現ができるわけなのです。ある意味安心感があります。
しかしそのようなルールがないアバコミュ等は本人ではなく
ハンドルネームをつけたアバキャラが実際の居住者なので
すべてを架空として表現できるわけです。
そこにいて感じた事は 大人と子供の精神年齢の融合 狭義な情報共有化の中での知識の劣化伝達が自然に起こる。
大人が誤った認識を持論として伝達する そこに文章能力の誤りがなければ 知識と常識が未成熟な参加者に正しい知識として伝わる。その誤った知識の伝達者が一定の支持を得ると
伝達者のテリトリーの住人である支持者に守られる。
伝達者はその支持者の信用を維持するためにその持論を崩す事はない。そこで消化する。
逆の状況も存在している。
伝達の才能を誤認またはフィクションの世界をさまよいその表現能力が優れている低年齢な参加者はそこに参加している大人をも説得するだけの世界を築く 大人も相手が低年齢者である事が認識できないので(普通はできるはず)その誤謬のテリトリーの中に溶け込んでしまう。
すると 経験的知識および専門的知識が欠如したものの不思議な世界が出来上がる。 偏差値が非常に低い学校で優秀な生徒と劣等生徒が発生するように。 そのような場所での価値観は現実の社会で適応が難しくなり 社会逃避性を確保できるので
そこに依存する人間が増加する。 そのような環境に憂いをもってしまう私でありました。