TeraCoreFM休閑閑話

旧butiPanther'sblogからタイトルをTeraCoreFM休閑閑話に変更しました

内在する小生の思想に皮肉的に近いテキスト

3.3.1. 1945−1990:形成局面:戦後民主主義者→新左翼→新人類
 ちょうど私の世代を客観的に分析している文章です。
批評箇所もきわめて私に近いものがあります
この時代は、アメリカでいえばテクノクラートとハッカーたちが互いに緊張・補完関係を作り出していた、第一次情報革命の「出現の出現」局面にあたる。敗戦と占領下の日本では、既存の社会システム――軍国主義的国家、独占的財閥、寄生地主制、家父長的家族制度など――が、それを支えてきたイデオロギーとともに破壊、解体され、昭和憲法に象徴される「一国平和主義」と「戦後民主主義」、および「個人主義」の制度とイデオロギーによって置き換えられた。これらは、戦後の日本に与えられた、近代化=西欧化の「大きな物語」のアメリカ的改訂版だったということができよう。 *1 さらに一九六〇年代の「国民所得倍増計画」や「全国総合開発計画」を嚆矢とする高度経済成長と土建国家化の戦略が、その経済的基盤を提供した。

 したがって、 戦後の日本に最初に登場した「初期智民」の形態は、アメリカ風の「テクノクラート」というよりは、思想的には丸山真男らに代表される岩波/朝日的戦後民主主義/平和主義者と日教組の活動家たち ――かれらは旧左翼のシンパたちでもあった――であり、彼らによって イデオロギー的に鼓舞されていたのが、新制大学(という大衆化した高等教育)の過程を終えて社会に出て、モノ作りと土木工事中心の産業復興の担い手となった猛烈サラリーマンたちであった 。しかし、やがてそれとは緊張・補完関係に立つ形で登場してきたのが、新左翼全共闘型の政治ハッカーたちだったといえそうだ。一九六〇年代末の「大学紛争」の主役となった「団塊の世代」の全共闘たちは、右肩上がりの「高度成長」をどこまでも続く既定の路線とみなし、その中での自らの地位――卒業すると大企業のサラリーマンになり、四〇代で課長、五〇代で部長になって退職する――も所与のものと思い込んで「夢」を失っていた。その癖、せっかく入学した大学では、新時代へのパスポートともいうべき英会話の能力もコンピューターの知識もちっともつけてもらえないことに苛立ちや不安の念をつのらせていた。そこで彼らは「連帯を求めて孤立を恐れず」、旧左翼とそのシンパたちが支配する教授会中心の大学の体制を粉砕すべく決起した。そしてハッカーズの中からは「クラッカーズ」と呼ばれるようになった犯罪者たちが生まれてきたように、全共闘の中からは「連合赤軍」が生まれてきたのである。
 とはいえ、新左翼が主導した政治の季節はさして長続きしなかった。1970年代も半ばにかかるころには、実質的な経済成長という意味での戦後の「高度経済成長」過程はすでに終焉を見ていた。しかし「減量経営」によって二度の「石油危機」の乗り切りに成功した一九八〇年代の日本では、円高と通貨の過剰供給を背景に、地価と株価、そしてドルで測った名目国民所得のバブル的な膨張過程が続いていた。 その中で、かつての形成期の智民たちは、いくつかの方向に分裂進化した。たとえば、それ以前の戦後民主主義者による自虐的な日本人・文化・社会論に代わる、肯定的な日本人・文化・社会論や日本的経営論 *2 を世に問う「新保守」派が台頭した。あるいは、どぶねずみルックの猛烈サラリーマンに代わって「猛烈からビューティフル」へを合い言葉とする「消費社会」の新しい物語を唱道しつつ日本経済のサービス化を推進して日本人のライフスタイルを一新しようとするコピーライターたちのグループが一世を風靡した。 また、マルクス主義の影響をより強く残したアカデミアの中からは、「ポストモダン」を呼号するフランス現代思想の影響を受けた難解な議論を駆使する 「ポストモダニズム」ないし「ニュー・アカデミズム」の旗手 *3 が論壇を駆け抜けた。 しかしそうした多様な流れを一言で概括するならば、「団塊の世代」の次の世代にあたる「新人類」と呼ばれた彼らの主流は、政治の季節が終わるなかで「政から性」(宮台真司)へと転身したのである。
 以上、 戦後民主主義者から新左翼を経て新人類にいたる日本情報社会の形成局面での智民たちは、概していえば「ネアカ」な「表のエリート」たちだったということができるだろう 。


でその「ネアカ」な「表のエリート」達の功罪は断じないのでしょうか?そしてこの「ネアカ」な「表のエリート」が今、マスコミ 政界 財界の主要ポストを握っている事にわれわれは気がつかなければならない。

 色つけたところは いろいろこいつらのせいか!!と思わせるところ 固有名詞はおのおの創造してください。