TeraCoreFM休閑閑話

旧butiPanther'sblogからタイトルをTeraCoreFM休閑閑話に変更しました

告白します でないと話ができない

私の母はペルーからの復員帰還員です そんなわけで私の家族は全て Catholic信者です 子供の頃は熱心な信者でしたし
 洗礼名もヨゼフという重い名前を頂いて しかも名前より洗礼名が先に着き 今じゃ考えられませんが当時は有りでした。
 私の本名も 音読みにすると この洗礼名になる仕掛けになっています。そんでもって
 将来神父さんになろうと思ったり 上智の神学を専攻しようと思ったり エリザベト音楽大学にはいってローマのサンタ・チェチリア音楽院に留学できたらいいなと思ったりしてた10代の頃がありました。
 しかし 若く多感な頃の私はだんだんカソリックから遠のき初めて いまやどちらかというと禅を通じて仏教に理解を示し
 ながら 日本の神道にも強い興味をもっています。
ですから 私の画像は尊敬している一休宗純なのです。

なぜこの話を前段で話さなくてはならないのかというと

 私の心の中では無宗教の状態であることを明言しときたいからなのです。 しかし 私は死ぬまでの間に自分のよりどころになる宗教に帰依したいと思っています。
 それが 神道なのかキリスト教なのか 仏教なのかはわかりません

その上で 私が 理解できない思考集団 無宗教を標榜する
 無宗教教団の信者達 彼らは ニーチェの「神は死んだ」 信奉者なのか それとも 科学的考察者なのか それとも世界一体主義者なのか  それとも 共産主義なのか はたまた英語で言うところのatheist(無神論者)agunostic(不可知論者)なのか 一体全体どういう存在なのでしょうか。

 昨日の 私の日記  で頂戴したとしぼう@SUZUKI乗り氏のコメントの中の「革命思想のシンバらしい人が、だから宗教にはまる奴はあぶねえ、といってましたので、他人ごとですますでしょ。」といふなかの「宗教にはまる奴は危ない」とのたまう 革命思想のシンバの方々にに伺いたい。であるなら あなた方たちが パレスチナ問題を
解決して見てください。あらゆる宗教問題を無宗教の教義で解決して下さい。 
 人の心情の中に鎮座する宗教心を辱しめて 多感してあざけるのが人のする事なのであろうか。
私には理解ができない 

今のイスラムやパレスチナ問題をいっそう捻じ曲げたのは一体
誰なのかを認識して 今の革命思想のシンパたちは理解しているのだとうか かつてPLOやアラブのテロリズムと共闘し指導したのが 日本赤軍の岡本や重信だったのではないか その中で イスラム原理主義が台頭して民衆を巻き込んでの武力闘争が延々と続くようになったのではないだろうか。
 
日本の極左や革命主義者達は一向にこの問題の決着をつける気はない 只 闘争の火をつけただけだ。 戦いにはかならず 講和が必要である この講和による闘争の終結をし 相互の利益を保障するのが 戦いを起こした責任者 関係者の責務であると思う そうではないのか

こういう人たちに戦犯の戦争責任を問う資格はないと思う

今もなお多くの人間が貧困の中で自爆テロという手法を使い
命をうしなわせる手法を誰が指導した。
 そして 今も尚、あらゆる ルートから資金提供を続けているのはどこの誰なのか 心あたりを探してみたらどうなのか

私は無宗教の定義を自分なりに考える。
自らが帰属している 世界 国家 法 社会環境の中で
 自らの思想 信条の元に 生涯の生き方を求道している状態を無宗教の状態という もし自己のの中で多の宗教に劣らない
自分の合致した 思想 信条が形成され その信条に生き方を求道するならば 個人の世界観念の中の宗教の誕生となり個人唯一の宗教を成立させた事になり 無宗教状態な解消される。

一方 ただただ 無宗教を標榜し 自己の思想信条を求道せず
 無宗教という下に帰属しているのであれば それは法の帰属主義から逸脱した無責任教団であるといえるのではないか。


いろいろ答えていただきたい