読みませ本を
としぼう@SuzukiRider さんの のハンニバルシリーズにコメントしてそのリターンをもらった
「見てない人読んでない人にネタばれしないように書くのは大変でした。
でも読むほうが怖いと思うよ。想像力は際限がないのでね。」
まさにその通りだと思う。
そして、我々 氾濫する映像メディア情報の中におぼれ、その想像力を欠如していく人間もいれば、
体験してきた、数多の映像表現 修飾技法 (照明・サウンド・音楽 カメラワーク 俳優の演技 編集技法・美術。演出・・・)に刺激を受け、自らの想像力にそれらの影響を加味する事ができる、現代人もいる。
そして、それを楽しむ、我々読書人がいるのである。
今、本は売れ、活字は人気があるらしい、しかし、文芸的に秀で、その想像力を掻き立てる書物は残念ながら、あまり生まれないようである。
其の責は、作家ばかりにあるのではなく、現代の読者にもあるようだと考える。
今、小生は、1940年代の作家の文学を楽しんでいる。 非常に想像力を掻き立てられるのである。
また、そのテキストがら得られる、世界観についていけなく、情け無いことに、自分の想像力の乏しさを恨む始末であります。
1940年代 テレビはなく、映像は映画館にいって楽しむものであった。其の中で、活字の文学は其の時代の人にとって、最大のエンターテイメントで会った事を実感する。
機知にとんだ想像力をもった、作家、三島のように美しく、戦慄的な文章を書く作家 犀星のように斬新で官能的で、哲学にとんだ文章を読んだ読者が、思い切り想像力を膨らませ、楽しみ、そして、其の世界観を誰かに伝える そして、同じ文章から感じえた世界観が読んだ人の数だけ生まれる。
そう、無数の映像作家・監督が生まれるわけである、そして、其の想像の世界の映画を言葉にして誰かに伝える、楽しみはなんともいえない、快楽なのである。
今ほど、作られた、陳腐な映像を鵜呑みにして、思考を停止し、怠惰で陳腐な感動を語らなければならない
我々現代人は、どれほど、くだらない想像力に依存していかなければならないのかという、絶望感を感じる。
そして、其の楽しみ方を知る人があまりに少なくなってしまった。
いうなれば、絶滅危惧種であり、孤独な変態おじさんと思われるだけなのである。
それは、さみしいと思うよ
本当に今の現代人が本当に想像力を持って、読書を楽しめるようになったら、それだけで、人間の想像力。感情は豊かになる。
かつてのコミュニケーションとして、友人、大切な人との本の貸し借り、世界観の共有がどれだけ人間関係を深め絆を強く持ちえたのか、そんな事に思いをふけるのでありました。