死が身近にない人へ
死が身近にない人へ
今日は本当に打ち拉がれた。
この日記は誤字脱字気にせずに只気持ちのままに書きます
どんな文章になるかわかりませんがきっと最後まで読んでください
今日、仕事場で一通のメールが友人から転送されてきた。
そのタイトルは訃報でした。
しかし、本文は文字化けていて何も読めなかった。
数分後、メールを送った友人から電話があり「Kさんが亡くなった」
初め冗談かと一瞬思ったが、メールの転送元は取引先からである
「一ヶ月前にガンを宣告され、亡くなった」
そんな
K氏は大手経済専門誌の編集副部長
であったのは今年の春だ。
ダイヤモンドと言う雑誌に私の特集シリーズを組んで、本を出版してお互いに頑張りましょう!!
っていう話だった。
それから本当に私のような埋もれた変人のために何回も企画書を書いて会社に持ってきてくれた。
私は諸事情と環境がかわるためにその企画は結果的に乗れなかった。
でもできれば、本当に彼とその仕事をしたかった。
最後はいつだったのかな7月だったかな。会社に来てくれて、「今度一緒に飲みましょう
同じ年のよしみで、これから楽しくやっていきましょう!」
というのが最後にかわした言葉であった。
それから不覚にも音信不通を決め込んでしまった。
いまさらながら、悔やむ
友人から彼が病気を宣告された直後に開設したブログのアドレスを送ってくれた
http://blogs.yahoo.co.jp/kakutanobu/MYBLOG/yblog.html
たった3回の綴りでした。
でもその3回の日記 人の心の強さと治そうという努力と熱意が伝わった
「戸惑ったろうに、くるしかったろうに、」
でも信念をもって生きようとしていた。
11月22日のブログを最後に、最後まで、先生への感謝と治そうという努力の気持ちを書いていた。
私は今、彼に会いに行きたい。
出会った人に何にもしてあげられていない
彼とは42歳同い年である
そして、私も同種の病と付き合っている。部位は違うが
でもあんまり、急です。
余命一ヶ月っていわれたら、どうなってしまうんだろう
彼のように振舞えるだろうか
ねーみんな
人って生まれたら唯ゞ死ぬために生きている。
だけど、本来もらった遺伝子情報に生きている間の楽しい情報、悲しい情報、生き方、病気との闘いかた、人の温か
い心、良心や兄弟や友達から受けた情報、恋人に対する思い そして子供達のへの思い そんな情報が遺伝子に刻み
込んで、命って繋がっていくのである。
子供がいない人達でも、だれかに接していれば、人への優しさや強さは誰かに伝えられると思う
出合って、いろんな事を感じて生きていく、与えなくてもいい、自分の命が誰かと接することができれば、
それは生きているということであり、人の心に思いが残れば、生きていく力にもなりうるし、そうでないかもしれな
い
人との出合い、私はこれから、もっと人を好きになりたいと思う、できる限り、頑張って、元気に接して、
その出合いの中でできうる事をしていきたい。
40歳過ぎると本当に人がいなくなっていく、好きだ、嫌いだではなく 必然的にいなくなっていく
本来の人間の寿命だからである
だkら、人との出合いを大切にして生きたい
Kさんはいつも笑顔でした。
私も、笑顔やりとうしていきたい
私の笑顔、私の仕儀、私の表現がだれかのためになるのであれば、がんばりたい
一生懸命生きなければ
そう
そう、それだけなんだと思う。
ご冥福を祈ります。
20/01/09
夢野旅人、柚子譚こと
坂入 譲