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普段、あまり新書を読まない私ですが。
本屋で立ち読みしたら、前書きにやられてしまいました。
日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか (ちくま新書) (新書)
竹内 整一 (著)
その前書きを紹介引用いたします。
―阿久悠の「ぼくのさよなら史」の中の一文を引用して
「人間はたぶん、さよなら史がどれくらいぶ厚いかによって、いい人生かきまる」
なるほど、だから 沢田研二の歌に「さよなら」とか「さらば」という言葉を多様したのだな。
この本、なかなか上手いからめ方をしながら本質をついてくる。
全てねたはばらしませんが、注目点をいくつか紹介します。
「さらば」「さよばら」とは、本来「然あらば」「さようであるならば」と接続語である
前の事象から次の新しい事象を案じさせる言葉である
「さよなら」自体は日常使われなくなってきたが 「それでは」「では」「じゃあ」「ほな」
東北弁だと「せば」「だば」も接続詞である
この言葉の使い方は日本独特の文化である。
さよならの起原
「さらばいかはせん。難きものなり共仰せごとに従ひて求めにまからん」(竹取ものがたり)
「さらばよと別れしときにいはませば我も涙におほぼれなし」(伊勢後撰和歌集)
時代は進んで
「世を背きぬべき身なめりなど、言ひおどして、さらば今日こそはかぎりなめりと(源氏物語)
「氏既に寺内に討ち入れたれば、紛れて御出あるべき方もなし、さらば、よし自害せんと思し召して、(太平記)
と出家や自害と死に近づいてくる
と日本の古典を並べて「さよなら」の変遷を説いていく
かと思えば、死生観を題材に柳田 邦夫 そして「百万回いきた猫」に色即是空を想起し
かと思えば、中原、中也を持ち出す。
なかなか面白い構成でした。新書にしては久々におもしろかったです。