極めて放送してもらいたくない番組(書き順バトルってなに)
木曜19時より放送されている浜田がMCをやっている「プレバト!!」の書き順対戦 これは日本の文字文化も大きな誤解を押し付けるものと考えています
書き順(筆順)というものは原則的に答えはないのである。
まずは以下の本を紹介しましょう
『筆順のはなし』(松本仁志/著、中央公論新社/刊)
この本に書いてあることは 現在の一元的 絶対的ものと信じられている筆順は
「義務教育諸学校教科用図書検定基準」という国が定めた基準の「第3章 各教科固有の条件」の中の[国語科「書写」]に、「1選択・扱いおよび構成・排列」「(4)漢字の筆順は、原則として一般に通用している常識的なものによっており(後略)」とあるので、「一般的に通用している常識的な」筆順であると判断する主体、すなわち教科書検定を行う国(文部科学省)が決めたことになる。
元は、1941年からの国民学校期に称された第5国定国語教科書の教師用書所収の筆順だ。そこには668字
最悪なのは
1958年には、文部省から出されていた『筆順指導の手びき』それ以前は
例えば、「上」という漢字の筆順は「|」からか?「ー」からか? 正解は「どちらも正しいとはいえないが、誤りでもない」
1941年から国民学校期で使用された第5国定国語教科書の教師用書所収では、どちらの筆順も並記されている。
そも そも 日本の漢字というのは音読主体であり漢字の意味もそう重要ではない 中国から伝来した文字文化を空海などが日本語に整理したものであるから。
そして本家の中国の王羲之でさえも 決まった筆順で書いてはいない 筆順は 書体の変遷 筆 紙の発達に伴いもっとも書きやすい運びで書き手本人が決めていくものであるといえよう
もちろん書の流派にはそれぞれ美しい筆順というものが継承されているが それは流派の秘技なのである 宗家の文字を伝えるための技法のひとつなのである
つまり現代の正しい書き順をもってすれば、空海・橘逸勢・嵯峨天皇の三筆の筆順は過ちであり 小野道風も 本居宣長 松尾芭蕉もみんな過ちということになってしまいます。
日本の歴史ある文字文化を現在に活かそうとするとき 書き手がどのような美意識をもって どのような書体で文字を描くかによって
継承された文字の系譜が何本も脈々と存在してきたものを 戦後の文部省と一部の頭の固い学者が日本固有の文字文化を滅却してしまった。
この過ちを正していく必要があるのではないのだろうか
現代の書道家もそういった愚の風潮に流され答えがないものを単一化させてしまっている。非常に大きな問題であると思う
私が古書店で手にいれた昭和初期のお手本でさえも筆順は画一していない 重要なのは筆運びなのである
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