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「この国の思いやりは、世界遺産」

思考

[「この国の思いやりは、世界遺産」:title=http://www.ad-c.or.jp/campaign/self_area/03/index.html ]

ピーター・バラカン氏に言われるの癪なのですが
とても共感できます。
しかし、どうでしょう どうしてこの思いやりが社会から排除され薄れてしまったのでしょう。
それは日本人が誤った認識で欧米の感覚を捉えて利己的な自己中心主義に注目してきたからではなないのでしょうか、NOといえない日本人。ディベートの強化 言葉で勝つ事のみ
社会の発言力を保持できると信じている人達が多い

日本人の奥ゆかしさやおもてなしの心などはいる余地がないコミュニケーションを実社会の現場では要求されるし、一部では子供たちの教育にも導入されています。

ここでいう思いやり、「さりげなく、なにげなく、相手を思いやること」を実現するためには日本人の文化や歴史感 宗教観により育まれた、畏敬の念や礼節をしらなければ、この思いやりを発動できないのである
 目配り、目付、立ち居振る舞い 位の持ち方 「真・善・美」「時・所・相手」に相対する所作、「和敬清寂」「一座建立」「一期一会」の心やその術をしらなければ、相手の気持ちも読めないし、まず己の心も律する事ができないと思うのです

一体 多くの我々日本人はこの美徳をどこで学んでいるのでしょうか?

自ら進んで 武道や茶道や伝統芸能や礼法を学ぶ人のみが隠れて継承しているだけ
しかし 実際学んだ所作を習得して実社会で実行すると奇異な眼で見られるのです
拝(はい) 揖(ゆう) つまり最敬礼や会釈をしても無視や奇異な眼で見られる

日本人のもつ美しい方を日常で使うことができない世の中です。
良くて日本文化が好きな人、なにかを学んでいる人なのだ、わるくいえば何を気取っているんだあいつは!

思いやりは相手との心の距離を知り 心からのコミュニケーションを図るすべなのに

言葉だけ思いやりといっても 「理」と「術」をしらなければ まったく意味の無いことなんだと思っています。

生きている事の感謝 人との縁への感謝 万物への感謝の心が其の所作につながると思うのです。